サマリタンズホームページより/第12号
2016年3月2日発行
■サマリタンズ訪問記
解題:今年の7月、長崎いのちの電話のボランティア相談員がイギリスの「サマリタンズ」を訪問されました。『訪問記』が長崎センターの内部紙に掲載されましたので、そのホットな情報を多くの方に知っていただこうと考え、「サマリタンズ・ニュース」転載への許可をご本人と事務局にお願いしましたところ快く承諾していただきました。ありがとうございました。訪問するきっかけが「サマリタンズ・ニュース」を見てとのこととお聞きし、ニュース発行者としては励まされました。さらに、訪問を通してサマリタンズと日本の相談員が交流できたことは嬉しいとの長崎センター事務局からの言葉をいただきました。私たちも同感です!!
7月にイギリスへ行きました。旅行を兼ねて娘の卒業式に参加するためです。日程を決めるため娘から「どこか行きたいとこある?」と聞かれました。そこで、いのちの電話の始まりがイギリスであること、可能なら行ってみたいと思っている事を話しました。驚いたのは、ホームページを調べるとすぐに場所がわかった事と“約束がなくても誰でも来て良い”と書かれていた事です。それで、時間があれば寄ってみる事にしました。
その日の午前中は大英博物館に行きました。そこで最初の展示物は、1人が一生に飲む平均的な薬と人物の写真です。“ゆりかごから墓場まで”と書かれたタイトルの説明文に、幸福な状態とは病気を治す事よりも複雑である、と書かれていました。私は、ウェル・ビーイングを福祉で学んだ事を思い出し胸が熱くなりました。
午後から時間が出来たので、サマリタンズへ行ってみることにしました。地図を頼りにしばらく歩きまわると、シティーのはずれに“サマリタンズ”と書かれた道路標識を見つけました。「本当にあったんだ!」この時はもう達成感でいっぱいでした。矢印の方向のビルの谷間にサマリタンズはありました。少し迷いましたが、ベルを押すと事務の女性が対応してくださいました。そして娘が、「母が日本のサマリタンズでボランティアをしており、話を聞きたいのですが」と伝えると取り次いでくだり、10分位ならベテランの相談員が話して下さるとのことでした。
私たちは、面談室に通されお茶をいただきました。少しして40代の女性が来られました。守秘義務は日本と同じであること。相談後は、必ず休んで帰るのが普通で、相談員をサポートするシステムがあること。社会も人も目まぐるしく変わるため2年やれば良い方であること。自分に正直になることが大切であると話してくださいました。
私は、突然来て申し訳ないと思っていました。しかし、その方は、終始笑顔で温かな態度でした。ですから私も、初めての通訳に緊張していた娘も、勇気を出してベルを押して良かったと思いました。
夜、ホテルに帰ってから「あの人のようになりたい。」と娘に話しました。旅の最終日は、どしゃぶりの卒業式でした。私も帽子投げをする娘も、自然な笑顔であったのは不思議な経験でした。(T.T.)
■ボランティアは語る
解題:サマリタンズの活動は、2013年現在、21,200人のボランティアにより、201の支部で展開されています。いろいろな背景を持つボランティアが、活動に参加したきっかけや迷い、さらに活動を通じての心境を語っています。なお、このニュースレター5号にも同様の記事を掲載しています。
ボランティアの話:ボビー
ボビーは、サマリタンズの研修が本来女性であるべき自分になるのを手助けしてくれたことに気づいています。
「私の両手は震えていました。私の生まれた性は男でしたが、外見は女でした。私は性転換した女を装って、何回も外出していました。しかし、今日は違っていました。サマリタンズの選考会を出て、なぜ一体全体これをやる決心をしたのか、迷い始めていました。」
それではなぜ、ボランティアをやる決心をしたのか? 私は過去にサマリタンズを利用したことはありませんでした。しかし、私の知っている transgender(自己の性と反対の性で生きようとする人)はサマリタンズのボランティアでした。私も出来るのではないかと心にふと浮かびました。しかし、ためらいました。今が研修を始めるのに適切な時期なのか? 私は二つの役割をこなす服装倒錯者でした。性よりも、目的によってどちらかの服を着ていたのです。目標は、いつでも女性として生きる予備行動として、私の女性人格でボランティアの仕事をすることでした。
人選は恐れていた程ではありませんでした。他の5人のボランティア候補は私を受け入れ、審査する人たちも同様でした。それは仕事の採用面接とは全く異なったもので、4時間があっという間に過ぎました。そこに到着した時は、選ばれるのを望んでいるのかどうかあやふやでしたが、去る時は、組織のやっていることに大変乗り気になりました。
私は選考をパスしました。そして、研修は私の人生の大変重要な部分を占めました。社会的なこと以外の理由で女性としての自分を生きなければならないことは、残りの人生を女として生きることができるのではないかと気づかせてくれました。仲間の新人と研修担当者は、いつでも女であることへの決断を手助けすることにおいて、彼らが思っている以上に重要な役割を果たしました。私の主要な障害物は現在の勤め先で、それは大変男性的な製材所でありました。私は決してそこでは秘密を明かさないと言ってきました。そして、男として女としての二股の人生を行ったり来たりしていました。
結果として、より女性向きの仕事を探すのに6ケ月以上を費やした後で、どこにもたどり着かないと気づき、私の置かれている状況に「サマリタンズ思考」を適用しました。男として生きることがますます困難になっていることに気づき、製材工場の男らしい男全員に、秘密を明かすことによって起こることの何が最悪の事態か、必死に考えました。
熟考に熟考を重ね、その一つの困難を克服するだけで、自分の人生を希望するように生きられ、今よりずっと幸せになれると気づきました。私は意を決しました。期日を設定し、雇い主に連絡し、25人の従業員の前に立ち、今までの私は本物でないので、性を変えようとしていると説明しました。2012年7月、私は正式に名前と肩書きを、私の選んだ女性の名に変えました。私は仕事に戻りました。反応は私が全く予想していなかったものでした。時々違った名前で呼ばれる間違いはありますが、誰もが受け入れています。一人の男性は、心を砕いて私を女として対応してくれ、何人かは、将来が何を私にもたらすのか本当に興味を持ってくれました。今になって、なぜそんなに長い間秘密にしておいたのか、不思議に思っています。
サマリタンズに参加することなしに、今私がいるところにいるとは思いません。他の全てのボランティアに受け入れられたことは、私が自信をもつことを大いに支援してくれました。そして私は本来生まれた道で人生を送ることを大切にしています。
ボランティアの話:ハービー
プットニー支所のハービーは、なぜサマリタンズのボランティア活動はやりがいがあるのかについて、彼の見解を述べています。
私は、ルーマニアで孤児院を支援したのが、初めてのボランティア体験でした。やってみて今まで経験した事のない感じを受けました。それは人を鼓舞し、人をそのような感銘深い方法で支援することがいかにためになることであるか、気づかせてくれました。
それ以来、何か定期的にもっとやりたいと思っていて、地下鉄でサマリタンズのボランティアを呼びかけるポスターを見て、私の地域のプットニー支所に問い合わせをしました。その後の経過は画期的で、14年以上もボランティアをやっています。
私は直接手を使う業界でずっと働いています。最初は建設業界、今は自営で電気工事を請け負っています。サマリタンズのボランティアとしての私の役目は、日常の仕事とそんなに異なることはありません。サマリタンズのボランティアは大変融通がきき、仕事や他の約束事との調整が可能です。
私はサマリタンズでのボランティアを通じて、多くの役に立つ技量を身につけました。仕事の仲間や得意先と、そして個人的な人間関係で、よりよい聴き手になっていました。ストレスを感じる状況にあっても、はるかに冷静です。
広範囲で変化に富む、あらゆる分野の人がサマリタンになっています。私は、先生、資格のある弁護士、ミュージシャン、学生、退職した人、職人、銀行家、役者そしてジャーナリストと一緒にボランティアをやってきました。私たちには一つの共通の目的があります。私たちを必要としている人を支援すること、です。
いつもシフトから持ち帰ることは、「満足感を与える要素」です。前向きな人々と一緒の環境で働き、そこにいることだけで誰かの人生に多大な変化をもたらす、と時折言われることが、私にとって充分な報酬です。これが、調子が悪いときの私にやる気を起こさせ、良い状態に導いてくれます。これが、サマリタンズのいつもあるべき姿、と私は思っています。
ボランティアの話:ジャック
2000年に参加、2003〜2007年に支所の事務局長、2007年に副議長に任命された。
1971年にグラスゴーに移り住んでから少し後、サマリタンズであった人と部屋を分かち合っていました。私は少しそれについて学びました。そして、何か本当にやりがいのあることと心を打たれました。しかし、当時私はちょうどビジネスに乗り出していて、そのための時間がなかったのです。しかし、時間が出来たときに見直すつもりで、心の隅にしまって置いたのです。
ほぼ30年後、ボランティアをやっているビジネス仲間と話をしていました。それは、私の興味を呼び起こし、仕事を辞めて、もっと時間が使える状態で、2000年に応募しました。
私は2001年に完全なボランティアになりました。その時以来、グラスゴー支所の仕事のほとんどに関係して来ました。統計、管理(以前印刷業者をやっていたことが、詳細を整える助けになりました)、コーラーの世話、学校での話、広報、コンピュータの設置、勤務当番表、年次の研修会議、グラスゴー・サマリタンズの後援者との連絡、建物のメインテナンス(私は特に排水施設が得意です)、掲示板の清掃係、そしてリーダーとしての勤め――もちろんこのような順序である必要はありません。
私は現在4人の副議長の一人で、支所のリーダーと、SamCareの責任を負っています。 Sam-Careとは、現在電話のシフトに入れないボランティアと連絡を保ち続けることです。
私はスコットランドの多くの支所と、いろいろなことについて連絡が出来ています。そして忙しい支所の運営を手伝う中で、出会う問題に一人で向き合っている訳ではないことを発見することは、時折安らぎになっています。
いつもそうですが、ある組織に本当に携われるのは、見えないところで行われている努力の価値を察し始める時です。活動は、大きな達成感を伴って、興味をそそりそしてやりがいがあります。特に、コーラーが、とりわけ困難な人生を送っているのを助けてくれたと、感謝の気持で電話をくれる時です。
ボランティアの話:ミシェール
ミシェール(31歳、グラスゴー支所出身)はプロのオペラ歌手として仕事への見識を私たちに与えてくれます。そして、これをボランティアをやりながら上手にやりくりしています。
私は10年間、プロとして歌い続けています。私は仕事で、広範囲に渡る場所に出かけます。日本そしてカナダから、どなたかの居間へ、そしてオーストラリアの田舎の遠く離れた羊小屋へも。
しかし、すべてが楽しい訳ではありません。 他の仕事と同じように、非常な努力が必要とされます。公演を引き受けることと夜遅くの舞台とをやりくりする必要があるため、てんやわんやです。しかし、良い事が困難に勝っています。旅行、常に新しい地域を知り、自分の声で人々と接することができるのはすばらしいことです。そして、一人で歌って人を感動させることができた時は、心地よい気持になります。
私は1年と少しの間ボランティアをやって来ています。そして、とても忙しいために、シフトを埋めることが難問です。しかし、いつも何とかやりくりしています。私は仕事とサマリタンズの生活を分けています。私は人から干渉されない生活が好きなのです。私は、聞かれなければ自分がどんな仕事をしているか、他のボランティアに滅多に話しません。仕事に於いても同様です。しかしながら、この二つはときたま、一緒になることがあります。ピアニストとして演奏することが、人生を生きる価値のあるものにしてくれる唯一のものだと話す掛け手の電話を、一度受けたことがありました。
私は何人かの親しい人を自殺で失っていますので、ボランティアになったことは自分に役立っています。他の事では、歌の教え子との関係が良くなり、私の怒りっぽい性格がすこし抑えられています。私は人が完全な孤独を感じていることに堪えられません。その週がどんなであろうと、私たちを必要とする人々に時間を届けることは、すばらしいことと思います。それが、結局、私たち全てが参加している理由です。
ボランティアの話:シャーロット
シャーロット・コックスは、つい最近、23歳でサマリタンズの最も若い支所責任者になりました。彼女はGuernsey島での役目を引き受けるという独特の挑戦で、総体的な見方を私たちに示しています。 学友の二人を自殺で失い、サマリタンズは若い頃から私の情報網にあったと思います。活動を調べ、ボランティアへの応募を2009年9月に決意した時、「なぜ誰もがサマリタンでないのか?」という考え方をしていました。そうであれば、多くの人を助けるのに、時間はかからないと思ったからです。
ボランティアになって、活動できるようになるとすぐに、支所の募金集めと啓発活動に従事しました。私は囚人を支援するチームのメンバーになり、やがて奉仕活動の副責任者になりました。
昨年、支所の管理者の役目を引き受けました。この職務は私たちのサービスができるだけ効率的に行われるよう、日常の管理を行う責任を伴っています。私は役目の最初の一週間、不安で一杯でした。ボランティア仲間は私にいつも協力的で、何かやるべきことがある時支所全体がステップアップするのを見るのが好きです。私のそばに支援する強力な手助けがなければ、明らかにそれをできないでしょう。
予想されたように、それがストレスの多い役目であることを学びました。しかし、良いことが明らかに大変なことを圧倒します。私一人では何も出来ないことを知りました。責任者の仕事の一部は仕事を他の人に任せることなのです。
私はBarnadosで常勤の仕事に就いています。このことは、二つの慈善事業に興味ある私にとって、交互の関わりができ、すばらしいことです。ゆっくりくつろぎたいとき、ジムに行きます。ある週ではこれが効果的で、他の週では効果ありません。私は友人といて、一杯のワインでくつろぐのが好きです。あなたはあなた自身のために時間を作らなければなりません。もし作らなければ、誰にも必要とされないでしょう!
解題:今年の7月、長崎いのちの電話のボランティア相談員がイギリスの「サマリタンズ」を訪問されました。『訪問記』が長崎センターの内部紙に掲載されましたので、そのホットな情報を多くの方に知っていただこうと考え、「サマリタンズ・ニュース」転載への許可をご本人と事務局にお願いしましたところ快く承諾していただきました。ありがとうございました。訪問するきっかけが「サマリタンズ・ニュース」を見てとのこととお聞きし、ニュース発行者としては励まされました。さらに、訪問を通してサマリタンズと日本の相談員が交流できたことは嬉しいとの長崎センター事務局からの言葉をいただきました。私たちも同感です!!
7月にイギリスへ行きました。旅行を兼ねて娘の卒業式に参加するためです。日程を決めるため娘から「どこか行きたいとこある?」と聞かれました。そこで、いのちの電話の始まりがイギリスであること、可能なら行ってみたいと思っている事を話しました。驚いたのは、ホームページを調べるとすぐに場所がわかった事と“約束がなくても誰でも来て良い”と書かれていた事です。それで、時間があれば寄ってみる事にしました。
その日の午前中は大英博物館に行きました。そこで最初の展示物は、1人が一生に飲む平均的な薬と人物の写真です。“ゆりかごから墓場まで”と書かれたタイトルの説明文に、幸福な状態とは病気を治す事よりも複雑である、と書かれていました。私は、ウェル・ビーイングを福祉で学んだ事を思い出し胸が熱くなりました。
午後から時間が出来たので、サマリタンズへ行ってみることにしました。地図を頼りにしばらく歩きまわると、シティーのはずれに“サマリタンズ”と書かれた道路標識を見つけました。「本当にあったんだ!」この時はもう達成感でいっぱいでした。矢印の方向のビルの谷間にサマリタンズはありました。少し迷いましたが、ベルを押すと事務の女性が対応してくださいました。そして娘が、「母が日本のサマリタンズでボランティアをしており、話を聞きたいのですが」と伝えると取り次いでくだり、10分位ならベテランの相談員が話して下さるとのことでした。
私たちは、面談室に通されお茶をいただきました。少しして40代の女性が来られました。守秘義務は日本と同じであること。相談後は、必ず休んで帰るのが普通で、相談員をサポートするシステムがあること。社会も人も目まぐるしく変わるため2年やれば良い方であること。自分に正直になることが大切であると話してくださいました。
私は、突然来て申し訳ないと思っていました。しかし、その方は、終始笑顔で温かな態度でした。ですから私も、初めての通訳に緊張していた娘も、勇気を出してベルを押して良かったと思いました。
夜、ホテルに帰ってから「あの人のようになりたい。」と娘に話しました。旅の最終日は、どしゃぶりの卒業式でした。私も帽子投げをする娘も、自然な笑顔であったのは不思議な経験でした。(T.T.)
■ボランティアは語る
解題:サマリタンズの活動は、2013年現在、21,200人のボランティアにより、201の支部で展開されています。いろいろな背景を持つボランティアが、活動に参加したきっかけや迷い、さらに活動を通じての心境を語っています。なお、このニュースレター5号にも同様の記事を掲載しています。
ボランティアの話:ボビー
ボビーは、サマリタンズの研修が本来女性であるべき自分になるのを手助けしてくれたことに気づいています。
「私の両手は震えていました。私の生まれた性は男でしたが、外見は女でした。私は性転換した女を装って、何回も外出していました。しかし、今日は違っていました。サマリタンズの選考会を出て、なぜ一体全体これをやる決心をしたのか、迷い始めていました。」
それではなぜ、ボランティアをやる決心をしたのか? 私は過去にサマリタンズを利用したことはありませんでした。しかし、私の知っている transgender(自己の性と反対の性で生きようとする人)はサマリタンズのボランティアでした。私も出来るのではないかと心にふと浮かびました。しかし、ためらいました。今が研修を始めるのに適切な時期なのか? 私は二つの役割をこなす服装倒錯者でした。性よりも、目的によってどちらかの服を着ていたのです。目標は、いつでも女性として生きる予備行動として、私の女性人格でボランティアの仕事をすることでした。
人選は恐れていた程ではありませんでした。他の5人のボランティア候補は私を受け入れ、審査する人たちも同様でした。それは仕事の採用面接とは全く異なったもので、4時間があっという間に過ぎました。そこに到着した時は、選ばれるのを望んでいるのかどうかあやふやでしたが、去る時は、組織のやっていることに大変乗り気になりました。
私は選考をパスしました。そして、研修は私の人生の大変重要な部分を占めました。社会的なこと以外の理由で女性としての自分を生きなければならないことは、残りの人生を女として生きることができるのではないかと気づかせてくれました。仲間の新人と研修担当者は、いつでも女であることへの決断を手助けすることにおいて、彼らが思っている以上に重要な役割を果たしました。私の主要な障害物は現在の勤め先で、それは大変男性的な製材所でありました。私は決してそこでは秘密を明かさないと言ってきました。そして、男として女としての二股の人生を行ったり来たりしていました。
結果として、より女性向きの仕事を探すのに6ケ月以上を費やした後で、どこにもたどり着かないと気づき、私の置かれている状況に「サマリタンズ思考」を適用しました。男として生きることがますます困難になっていることに気づき、製材工場の男らしい男全員に、秘密を明かすことによって起こることの何が最悪の事態か、必死に考えました。
熟考に熟考を重ね、その一つの困難を克服するだけで、自分の人生を希望するように生きられ、今よりずっと幸せになれると気づきました。私は意を決しました。期日を設定し、雇い主に連絡し、25人の従業員の前に立ち、今までの私は本物でないので、性を変えようとしていると説明しました。2012年7月、私は正式に名前と肩書きを、私の選んだ女性の名に変えました。私は仕事に戻りました。反応は私が全く予想していなかったものでした。時々違った名前で呼ばれる間違いはありますが、誰もが受け入れています。一人の男性は、心を砕いて私を女として対応してくれ、何人かは、将来が何を私にもたらすのか本当に興味を持ってくれました。今になって、なぜそんなに長い間秘密にしておいたのか、不思議に思っています。
サマリタンズに参加することなしに、今私がいるところにいるとは思いません。他の全てのボランティアに受け入れられたことは、私が自信をもつことを大いに支援してくれました。そして私は本来生まれた道で人生を送ることを大切にしています。
ボランティアの話:ハービー
プットニー支所のハービーは、なぜサマリタンズのボランティア活動はやりがいがあるのかについて、彼の見解を述べています。
私は、ルーマニアで孤児院を支援したのが、初めてのボランティア体験でした。やってみて今まで経験した事のない感じを受けました。それは人を鼓舞し、人をそのような感銘深い方法で支援することがいかにためになることであるか、気づかせてくれました。
それ以来、何か定期的にもっとやりたいと思っていて、地下鉄でサマリタンズのボランティアを呼びかけるポスターを見て、私の地域のプットニー支所に問い合わせをしました。その後の経過は画期的で、14年以上もボランティアをやっています。
私は直接手を使う業界でずっと働いています。最初は建設業界、今は自営で電気工事を請け負っています。サマリタンズのボランティアとしての私の役目は、日常の仕事とそんなに異なることはありません。サマリタンズのボランティアは大変融通がきき、仕事や他の約束事との調整が可能です。
私はサマリタンズでのボランティアを通じて、多くの役に立つ技量を身につけました。仕事の仲間や得意先と、そして個人的な人間関係で、よりよい聴き手になっていました。ストレスを感じる状況にあっても、はるかに冷静です。
広範囲で変化に富む、あらゆる分野の人がサマリタンになっています。私は、先生、資格のある弁護士、ミュージシャン、学生、退職した人、職人、銀行家、役者そしてジャーナリストと一緒にボランティアをやってきました。私たちには一つの共通の目的があります。私たちを必要としている人を支援すること、です。
いつもシフトから持ち帰ることは、「満足感を与える要素」です。前向きな人々と一緒の環境で働き、そこにいることだけで誰かの人生に多大な変化をもたらす、と時折言われることが、私にとって充分な報酬です。これが、調子が悪いときの私にやる気を起こさせ、良い状態に導いてくれます。これが、サマリタンズのいつもあるべき姿、と私は思っています。
ボランティアの話:ジャック
2000年に参加、2003〜2007年に支所の事務局長、2007年に副議長に任命された。
1971年にグラスゴーに移り住んでから少し後、サマリタンズであった人と部屋を分かち合っていました。私は少しそれについて学びました。そして、何か本当にやりがいのあることと心を打たれました。しかし、当時私はちょうどビジネスに乗り出していて、そのための時間がなかったのです。しかし、時間が出来たときに見直すつもりで、心の隅にしまって置いたのです。
ほぼ30年後、ボランティアをやっているビジネス仲間と話をしていました。それは、私の興味を呼び起こし、仕事を辞めて、もっと時間が使える状態で、2000年に応募しました。
私は2001年に完全なボランティアになりました。その時以来、グラスゴー支所の仕事のほとんどに関係して来ました。統計、管理(以前印刷業者をやっていたことが、詳細を整える助けになりました)、コーラーの世話、学校での話、広報、コンピュータの設置、勤務当番表、年次の研修会議、グラスゴー・サマリタンズの後援者との連絡、建物のメインテナンス(私は特に排水施設が得意です)、掲示板の清掃係、そしてリーダーとしての勤め――もちろんこのような順序である必要はありません。
私は現在4人の副議長の一人で、支所のリーダーと、SamCareの責任を負っています。 Sam-Careとは、現在電話のシフトに入れないボランティアと連絡を保ち続けることです。
私はスコットランドの多くの支所と、いろいろなことについて連絡が出来ています。そして忙しい支所の運営を手伝う中で、出会う問題に一人で向き合っている訳ではないことを発見することは、時折安らぎになっています。
いつもそうですが、ある組織に本当に携われるのは、見えないところで行われている努力の価値を察し始める時です。活動は、大きな達成感を伴って、興味をそそりそしてやりがいがあります。特に、コーラーが、とりわけ困難な人生を送っているのを助けてくれたと、感謝の気持で電話をくれる時です。
ボランティアの話:ミシェール
ミシェール(31歳、グラスゴー支所出身)はプロのオペラ歌手として仕事への見識を私たちに与えてくれます。そして、これをボランティアをやりながら上手にやりくりしています。
私は10年間、プロとして歌い続けています。私は仕事で、広範囲に渡る場所に出かけます。日本そしてカナダから、どなたかの居間へ、そしてオーストラリアの田舎の遠く離れた羊小屋へも。
しかし、すべてが楽しい訳ではありません。 他の仕事と同じように、非常な努力が必要とされます。公演を引き受けることと夜遅くの舞台とをやりくりする必要があるため、てんやわんやです。しかし、良い事が困難に勝っています。旅行、常に新しい地域を知り、自分の声で人々と接することができるのはすばらしいことです。そして、一人で歌って人を感動させることができた時は、心地よい気持になります。
私は1年と少しの間ボランティアをやって来ています。そして、とても忙しいために、シフトを埋めることが難問です。しかし、いつも何とかやりくりしています。私は仕事とサマリタンズの生活を分けています。私は人から干渉されない生活が好きなのです。私は、聞かれなければ自分がどんな仕事をしているか、他のボランティアに滅多に話しません。仕事に於いても同様です。しかしながら、この二つはときたま、一緒になることがあります。ピアニストとして演奏することが、人生を生きる価値のあるものにしてくれる唯一のものだと話す掛け手の電話を、一度受けたことがありました。
私は何人かの親しい人を自殺で失っていますので、ボランティアになったことは自分に役立っています。他の事では、歌の教え子との関係が良くなり、私の怒りっぽい性格がすこし抑えられています。私は人が完全な孤独を感じていることに堪えられません。その週がどんなであろうと、私たちを必要とする人々に時間を届けることは、すばらしいことと思います。それが、結局、私たち全てが参加している理由です。
ボランティアの話:シャーロット
シャーロット・コックスは、つい最近、23歳でサマリタンズの最も若い支所責任者になりました。彼女はGuernsey島での役目を引き受けるという独特の挑戦で、総体的な見方を私たちに示しています。 学友の二人を自殺で失い、サマリタンズは若い頃から私の情報網にあったと思います。活動を調べ、ボランティアへの応募を2009年9月に決意した時、「なぜ誰もがサマリタンでないのか?」という考え方をしていました。そうであれば、多くの人を助けるのに、時間はかからないと思ったからです。
ボランティアになって、活動できるようになるとすぐに、支所の募金集めと啓発活動に従事しました。私は囚人を支援するチームのメンバーになり、やがて奉仕活動の副責任者になりました。
昨年、支所の管理者の役目を引き受けました。この職務は私たちのサービスができるだけ効率的に行われるよう、日常の管理を行う責任を伴っています。私は役目の最初の一週間、不安で一杯でした。ボランティア仲間は私にいつも協力的で、何かやるべきことがある時支所全体がステップアップするのを見るのが好きです。私のそばに支援する強力な手助けがなければ、明らかにそれをできないでしょう。
予想されたように、それがストレスの多い役目であることを学びました。しかし、良いことが明らかに大変なことを圧倒します。私一人では何も出来ないことを知りました。責任者の仕事の一部は仕事を他の人に任せることなのです。
私はBarnadosで常勤の仕事に就いています。このことは、二つの慈善事業に興味ある私にとって、交互の関わりができ、すばらしいことです。ゆっくりくつろぎたいとき、ジムに行きます。ある週ではこれが効果的で、他の週では効果ありません。私は友人といて、一杯のワインでくつろぐのが好きです。あなたはあなた自身のために時間を作らなければなりません。もし作らなければ、誰にも必要とされないでしょう!
出典:Home > Volunteer with us > Who are Samaritans volunteers